こんにちは。
今日は東京の谷中銀座に来ています。
小さな個人商店がたくさんあり、
お気に入りのお店もあり、
僕のお気に入りの場所です。
そんな谷中にある
とあるホテルのカフェで書いています。
夕焼けだんだん, 谷中銀座, 東京
最近は
暮らしについてよく考えます。
僕は週末、
朝起きがけの直感で行き先を決めて
あちこち出かけます。
自分にはどんな暮らしが合っていて、
どんな場所で、
どんなスタイルで暮らしたら、
自分の良さ、
ポテンシャルが
もっと発揮されていくのだろうか?
自分にとっての心地良さって
どんなことだろうか?
そんなことをふと思うことが多くなってきました。
昨年、飯能という場所がとっても好きになり、
毎週のように出かけては、
バスの終点まで行ってみたり、
地域のレストランやカフェに入っては、
その瞬間の自分の感覚を味わっていました。
飯能市のずっと奥の名栗に
正覚寺というお寺があります。
坐禅体験をかねた宿坊も提供しており、
昨年の初夏の頃、
本当に静かなひと時を過ごしたこともあります。
ふだん、都会に暮らし慣れているせいか、
どれだけ様々な音に囲まれて暮らしているのか、
この宿坊体験で気がつきました。
「シーン」は音ではないのですが、
風の少ない日でしたので
音は少なく、
いつ以来なのだろう、
耳は「シーン」と鎮まり、
人工的な音はほとんどない時を過ごしたことを思い出します。
宿帳には、
宿坊体験で宿泊された人たちの記帳がありました。
コロナ禍での生活から来る精神的なストレスが
ありありと伝わってくる生々しい記帳もあり、
身につまされつつ
ゆっくりと読ませていただきました。
不思議なことに、
共感する部分はもちろんあるのですが、
このコロナ禍という経験は、
これほどまでに受け取る生活体験、感覚が、
人により違うものかと思いを馳せたことが新鮮でした。
僕自身の
かつてよりある旧い心の息苦しさは、
僕自身に何を訴えているんだろうかと、
答えは出ることもなく、
ただその問いだけが置かれているような一晩だったことを
思い出します。
笑美亭, 旧名栗村, 埼玉県
今年に入り
自分の直感から湧き起こってきたことは
できる限り行動として起こしていき、
その結果起こってくる変化を楽しんでみようという心境に
腹が据わってきました。
心は軽くなり
現実にも変化が現れ始めています。
昨年、自分のリハビリも兼ねて(?!)セルフマスタリーの会を
始めたことは、
僕個人的なことではありますが、
ここに書いてみたようなことが背景としてあります。
僕には
青年海外協力隊活動という
人生を大きく動かす契機が
20代最後の時期にありました。
その頃に読んだ本だったと思います。
そこに書かれていたことは、
今の僕の価値観に影響を与えています。
それは、
あまり好きな言い方ではありませんが、
いわゆる、開発途上国と言われる国に暮らす若い人が、
日本からやってきた同じく若い人が
やりたいことをやれずに(やらずに?!)
悶々としている様を見て話したことです。
「あなたは
そんなに恵まれた国に生まれ
暮らしているのに
どうしてやりたいことをやらないのか」
というような内容でした。
この言葉は
協力隊活動から帰国し、
当時30代だった僕にとっては、
微かな衝撃でした。
本当は自由なのに
その自由さに気がついていなかったというか。
本当は僕らは自由な存在なんだから、
もっとその自由を謳歌する、享受する
暮らし、人生を、
本当にのびのびと生きてみたいですね。