お逢いしたことはありませんが、私にとっては魂のメンターである、宇佐美百合子さんのホームページを久しぶりに拝見させていただきました。
プロフィールには宇佐美さんのモットーが書かれており、「一隅を照らす」と書かれています。
私は前職を退職する決心をした頃、私がどのような心境で人生のリセットを覚悟したのかも書き添え、宇佐美さんの講演会に行きたいので、どこに行けばお逢いできるのかと、宇佐美さんのオフィス宛てでE-mailを書いたことがあります。
すると、宇佐美さんご本人からお返事があり、そのなかにこのような文章がありました。
"土井さんは、自分のいのちの使い方を
真剣に模索しているので、
必ず、どんな世界に身を置いても
「一隅を照らす」生き方をしていくと思います。
これまであなたが体験してきたことは、
きっと、どこかの時点ですべてつながりますよ。
どうぞ、生活のために働くのではなく、
いのちを燃やすために働いてください。
そういう自分を見失わなければ、
何をするかは、自ずからついてきます。
人生は自然に開けてくるという意味です。"
この宇佐美さんの文章によって、ふたたび私のいのちが救われ、2007年の私の決心のエネルギーが戻ってきました。
最近私は、自分の人生の大きな転機を生きるなかで疲れ、心が萎えていました。
宇佐美さんの文章に込められていた意味がふたたび、深い響きとなって私のなかで再現され、私のエネルギーが一気に高まりました。
「一隅を照らす」の意味をいま、知ったからです。
2007年当初、この言葉を気にしなかったことがいまでは不思議に思えるくらい、私にとっては大きな意味をもつ言葉です。
「一隅を照らす」生き方こそ、私がいつも心に置いて大切にしている、私のあり方を表現している言葉だったからです。
調べてみると、この言葉は伝教大使・最澄の言葉であることがわかりました。
「一隅を照らす」人とは、今自分が置かれている場所や立場で、ベストを尽くして照らすことのできる人、他者を光らすことができる人、そして街や社会を明るく光らせることのできる人のことだそうです。
自分がどんな状況に置かれようとも、そこで専心してベストを尽くすこと、それが自分を光らせるし、その光によって周囲の人や環境にも光があたる、ということです。
なにか特別なことをするというのではなく、そのときそのとき自分にできるベストを表現すればよい、ということだと思います。
いま、本当に大切なことを想い出しました。
宇佐美さん、ありがとうございます。
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Today's Photo:
"一隅を照らす"[Glastonbury Tor, Glastonbury, England](17th October 2007)
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