最近、想いをもたない人生について考えます。
想いをもたない人生とは、決して、夢や希望をあきらめるということではありません。
むしろ、その真逆といえそうです。
直感的に感じていることがあります。
それは、人生こうあるべきだ、こうじゃなきゃ幸せ感がない、と考えているうちはまだ、自分の本当の想い、本当の夢、本当の希望には気づくことができない、ということかもしれない。
本当の自分、私がこのブログで'わたし'と表現している、自分の本質的な部分と繋がるためには、私たちの想いによって創りだした曇りを取り払い、綺麗にすることが必要なのかもしれない。
そんな風に直感が教えてくれています。
実は、想いをもたずに、想いを手放していくことによって、自分の人生を神に、宇宙に明け渡すことによって、私たちが真に求めていることが向こうから自然と現れてくる。
そんな風に直感が教えてくれています。
求めつづけて、相応の努力もつづけて、あらゆるものを手にしたように見える人がやがて、手にしてきたものは実は、たいしたことではなかったと気づくという話を、なぜか物質的な富を築いた人が語っているものを読むことがあります。
なんだろう、このパラドックスは、といつも思っていました。
けれども、ここに宇宙の法則が働いている気がしてきました。
どんなきっかけであれ、想いを手放していくとき、本当に求めていたものが向こうからやってくる、という宇宙の法則があるような気がします。
小林正観さんの著書でよく拝見する言葉、
"ストレスをなくすには、想いをもたないこと"
という言葉を見かけるたびに、これはどういうことなのか、と自分にいつも問いかけていたことが、今日のブログを書くきっかけとなっています。
けれども私たちは、自発的に夢や希望をもち、それを努力によって叶えていくことこそが正しい道のりである、という想いをもつことが多い気がします。
しかし果たして、私たちがもっている夢や希望が、私たちそれぞれにとっての幸せにつながっているのかどうか、ということをどれだけ真剣に自分に問いかけているのだろうか、と最近よく思います。
ですから、私たちの幸せにつながる夢や希望を知るために、必要なことは、実は、
"想いをもたないこと"
なのではないか、と思うのです。
人生はパラドックスに満ち溢れています。
そして、人生にパラドックスを見いだすとき、そこには宇宙の法則が存在していることが示されているということでもあるのではないでしょうか。
人生が私に求めていること、それを知るためには、
"想いをもたないこと"
そんな宇宙の法則があるのかもしれません。
ありがとうございます。
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Today's Photo:
"You are here to do..."[Glastonbury Tor, Glastonbury, England](28th April 2008)
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