Message: "あなたはあなたの人生を引き受けた。だから、あなたの人生はいかようにもひらいていく。すべては、あなた次第"[猿田彦神社](4th September 2009)
人生に感謝し、その奥深さに気がつき、内面で感じている宇宙の法則と調和しながら生きるとき、やはり、私たちの人生は、私たちが意図したことと寸分たがいなく展開していることに気がつきます。
大切なことは、私たちがなにを受け取ろうと決めているのか、それを、自分の内側に入り、正直に見つめることです。
受け取ります、といって手を天に向かって差し出すとき、私たちの手に乗るのは、必ずしも、受け取りますと意図したもの、そのものではなく、受け取りたいと意図したことを、私たちが本来もっている力によって、引き寄せ、具現化するために、私たちが自ら行動し、カタチにしていくためのきっかけであったり、転機であったり、人との出逢いであったりすることもあるようです。
意図したものそのものではなく、それは、姿カタチを変えてやってきて、その向こうに見える真実を感じ取り、そこに向かって自分を動かしていくことが大切な時もあるようです。
最近、私が本当に求めていると感じていることを意図すると、なにかが動き、自分の体験をとおしてなにかがやってきて、自分が自分のことをどう思っているのかを、まじまじと見つめ、私が本当にそれを手にするに値する、素晴らしい存在であることを、心の底から感じているかを問われていると感じることに遭遇します。
私がここでお伝えしたいことは、自分に起こることすべては、なにひとつまがいなく、それを受け取ったり、乗り越えたり、あるいは、回避する先に待っているなにかを、私たちが受け取るに値するからこそ、起こっているということです。
すべては、自分の鏡である、ということです。
最近、鏡の反射が強いです。
Message: "心に空虚さを感じているとき、その空虚さを埋めることができるのは、あなたの本当の想い"[おはらい町通り](4th September 2009)
最近、旅をしていて感じるようになってきました。
私のなかにある、この空虚さ、無価値観のようなもの、私はそれを癒したいと想って、外に向かい続けていたのかもしれない、と。
それは、時空を超えて、過去生、あるいは、未来生ともつながっていて、いまこの瞬間に、その空虚さ、無価値感を癒す、埋めるなにかが、実は、自分のなかにあることに気がついて、自分の全体性を取り戻していく時が、いよいよやってきていることを教えてくれているのかもしれません。
繋がり感を感じて生きたいと私は想っています。
そのためには、私は、私の本質との繋がりを取り戻すことが大切であると感じています。
旅は、私の本質との繋がりにあらためて、気がつかせてくれる機会です。
Message: "自分との繋がりを取り戻すとき、あなたは、天に還る"[豊受大神宮(外宮)](5th September 2009)
私が伊勢神宮に行きたいと感じたときは、いま、想い返すと、いつも、なにかに包み込まれている感覚と求めているときでした。
伊勢は、柔らかく、優しい、包む込みエネルギーを感じる土地です。そこにいると、なんだか、自分という存在が、許されているような、そんな感じがしてきます。
そう。自分という存在が許されていると感じているとき、私たちは、自分で自分という存在を裁いてきたことに気がつきます。そして、自分を裁いているとき、私たちは人を裁いてしまいます。
繋がりを感じられないとき、それは、私たちが、私たち自身を裁いているから。
自分を裁いている、そんな自分も許そう、それでも、だいじょうぶ、と感じるとき、癒しが起こり、人との関係も癒されていく。そして、私たちは、自ら意図して用意した、次の人生ステージへと、上がっていく。
Message: "進むも、進まぬも、あなたが決める。進むも、進まぬも、私たちはあなたを尊敬している"[皇大神宮別宮 倭姫宮](4th September 2009)
倭姫宮の表参道は、とても長く、森のなかを通り抜ける砂利道です。
私が行った時は、私以外には誰も参拝者がおらず、自然を感じ、自分を感じながら表参道を歩きました。
今回の伊勢神宮の旅で感じたことは、ふだん、私が自分で創ってしまっていた雑な感覚や心配事による波動がすべて、調和の取れた状態に戻り、呼吸も深く、ゆったりとした穏やかな感覚になったことでした。
皇大神宮別宮のなかでも、倭姫宮、好きだなぁ~、と感じました。
皇大神宮、別宮、みんなそれぞれ、周波数が違います。
行ってみると、ここ、好きだなぁ~とか、ここ、合うなぁ~とか、なにか感じるものがあると思います。
Message: "よくここまでたどり着きなさった。これまでのご自分を、褒め称えてください"[皇大神宮別宮 月読宮](4th September 2009)
自分の人生は、自分が意図して創りあげているものであり、比較することは、お互いを賞賛しあう以外の意味をもたないと知るとき、いつでも、いまの自分を褒め称えることができます。
私は最近、本当によく想うんですよ。
これだけ感覚が繊細でありながら(笑)、よくここまで生きてこられたな、と。
よく企業人をやっていられるな、と。
生きているだけで、まるもうけ、という言葉がありますが、私は本当に、これまで生きてこられただけで、よく生きてこれたね、と自分に言ってあげることがあります。
それを自分に向かって言ってあげることができるのは、自分のなかにある虚無感、無価値感を、自分で癒すことができると知っているからであり、その癒しはすでにはじまっていることを知っているからだと感じています。
私は最近、人生の転機にある人と出逢うことが多いです。
不安を感じながらも、心のどこかで覚悟を決めて、一線を踏み越える直前にある人たちです。
私はそんな人たちが大好きです。
私がそんな人たちに出逢うということはきっと、私自身も人生の転機のなかにあって、新しいなにかを生み出すときに来ているということなんじゃないか、と思っています。
私は、とてもいい人生を生かされているな、と感じています。
Message: "あなたの歩んできた道はほら、こんなに明るいよ。これからも、明るいよ"[豊受大神宮別宮 多賀宮](5th September 2009)
(つづく)