"自分以外の誰かになろうとすると、私は苦しくなる"
今年、ようやくハラ落ちしたことがあります。
そのおかげで、生きるのがとてもラクになりました。
私にとっての自分に還る流れは、私のなかにあった、自分自身についての誤解をひとつずつ紐解いていくことでした。
紐解きはいまもつづいています。
紐解きは最初、とても怖いと思っていました。
なぜなら、これまでの私の人生のあり方や、間違いないと思っていた信念をくつがえすことでもあるからです。
けれども、よく考えてみると、私が本当に求めているのは、安心感であったり、穏やかさであったり、自由な感覚であったり、私にとっての本当の幸せでした。
そして、自分の人生を苦しくしている価値観や信念をひっくり返すことは、むしろ、心地よいことだと気がつきました。
スピリチュアルな教えや、自己啓発書のなかでは、繰り返し説かれ、うんざりするほど伝えられていること、
"幸せは、自分のなかにある"
この教えが、ようやく、ハラ落ちしはじめたのでした。
結局、自分の幸せってなんなのか、自分が幸せになるためにはどうすればいいのか、自分の内側に向かい、自分に問いかけ、自分が教えてくれたことに素直になってみる、それしかないのかもしれない。
私はそう思っています。
私が自分に自分でしかけた誤解を解いていくと、私はとてもラクに生きられるようになりました。
私は誤解されやすく、繊細で、とても人には理解されないだろうと、絶望感に近い感覚がずっとありました。
そのつらさから、人に理解されたいという気持ちから行動したり、伝えたりすればするほど、私は私を見失いました。
どんどん生きるのがつらくなりました。
私にとってのおおきな、おおきな気づきは、意識的であれ、無意識的であれ、人から認められよう、人から愛されようという動機から生きると、私は私を見失い、やがて、人生の脱力感に行き着いてしまう、ということです。
そして、自分のことだけではなく、目の前にいる、自分が大切だと思っている人のことも見えなくなるということに、なんとなくですが気がつきました。
私が本当は気づいている真実と、私が日常、考えていたことを丁寧に照らし合わせていくと、私のなかにあった、私自身についての誤解、人生に対する誤解を解いていくと、私は救われるのでした。
私が人に求めていた、人から理解されること、人から認められること、人から愛されることを、自分のなかで完結することができると気がついたのでした。
人から理解されること、人から認められること、人から愛されることを、自分以外のなにものかに求めつづける限り、私は脱力感とともに、絶望感を増していくのでした。
よく、自分の目の前にいる人は、自分の鏡だと言います。
人から愛されていると感じたり、人といて生きている実感を感じているときというのは、自分で自分を満たしていることを、たまたま目の前にいる人が反射してくれているのかもしれないな、と思っています。
自分自身についての誤解を解いて、自分の心も、思考もクリアになっていくと、森のなかで深く、ゆったりと呼吸をしているかのように、生きるのがとてもラクになっていく気がします。
最近、自分を感じられる瞬間が多くなりました。
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Today's Photo:
"人生のテーブル"[竹富島](11th September 2010)
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