私の大好きなブログ、阿部敏郎さんのいまここに、とても心響く言葉が書かれていましたので、ご紹介させてください。
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(中略)
なんて書いていたら浜松に到着。
改札まで迎えに来てくれた向禅師が、開口一番こう言いました。
「自灯明」
幾多の権威に惑わされることなく、自らを灯とせよ、という釈迦の遺言です。
僕は言いました。
「一人一人がすでに灯であり、だから、悟後の修行しかないんですよね」
すると向さん
「そうや、それしかない」
(以下、省略)
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昨日のブログ、流れ、そして、自己表現の本質で私が書いてみたかったことと、本質が近い気がして、阿部さんのブログを紹介したくなりました。
私は、青年海外協力隊から帰国してからの、この7年間、少し昇っては落ち、また少し昇っては落ち、というような感覚がつづいていて、私本来の輝きは、いったい、どうしてしまったのだろうと思っていました。
この7年間の私のあり方を振り返ると、自分で自分の存在を認めていなかったり、人の気持ちを満たしたり、心地よくさせられない自分は、存在していてもしょうがないのではと考えたり、人の輪のなかにすっと溶け込んでいけない自分は、なんて複雑で気難しい人間なんだろう・・・
そんな思考の塊がどんどんおおきくなり、人から遠ざかり、自分からも遠ざかっていく年月だった気がしています。
人からも、自分からも引きこもってしまう年月でした。
いま、ようやく私は、まずは私自身との距離感を取り戻しつつあって、それがやがては、人との距離感を縮めることにもなり、私は本当は孤立しているのではなく、自分の幻想だったことに気がついています。
私が私を見失ういちばんの原因は、私が自分の感性、感覚を信じない、受け入れないあり方と、人と自分とを比較する思考の癖でした。
自分の感性、直感で物事を選んでいく態度を取り戻し、少し怖いな、と思う気持ちがあっても、それでも自分の感性、直感で決めてみると、だんだん自分との距離感が縮まり、やがて、自分自身のことを心地よく感じるようになってきました。
選ぶときには、自分の感覚だけがあり、人がどう考えるか、感じるかという思考の流れはありません。
このような私の感じ方の変化について、昨日のブログ、流れ、そして、自己表現の本質で書かせていただきました。
そこで今日の阿部さんのブログ、自灯明を読んで、心がますます晴れやかになったのです。
「自らを灯とせよ」、という釈迦の遺言を、私なりの言葉で表現するなら、自らの感覚、感性に委ねて生きよ、それが自らを光輝かせる、という感じになります。
私は、私の感覚とつながり過ごしている時には、光と風を感じます。
最近、ブログを書きたいと感じた時は、いつも光と風を感じている時でした。
素敵な日曜日のひとときをお過ごしください。
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Today's Photo:
"自分には優しく、親切にしようね"[The Chalice Well, Glastonbury, England](1st May 2008)
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