マトリックス・エナジェティクス レベル3 & ニューヨーク珍道中 - Love my scarf, do you? -を、感じるままに、書きたいときに書いてきた。
今回は、最終回にしようと思う。
おれの直感が、そうしたほうがいいよ~、っていうからさっ。
ところでおれ、会社員やってんの、一応。
平日日中は、っていうことだけど。
でさ、おれ、12月にシアトルで開催されるPractitioner Certification(プラクティショナー認定コース)に参加するんだけどさ、そうすると12月の1週間、日本を離れることになるんだよ。
それでおれ、夏休み期間でもないのに、こんな長い期間、会社休めるのかって、心配してんの。
笑っちゃうだろ。
コンシャスネステクノロジー(Consciousness Technology: 意識のテクノロジー)を学んでいる人間が、こんなことを心配してるんだよ(爆)。
だってさ、もうね、飛行機も、ホテルも、セミナーも、申し込んでいて、入金も済ませているんだよね。
そうなったらさ、行けるとか、行けないとか、関係ないじゃん。
申し込んじゃったんだから。
おれは、意図したよ。
シアトルに行くことを。
でもさ、こうなるとさ、行けるとか、行けないとかって、あとはさ、おれにはどうしようもないんだよね。
なぜなら、この先は、'神の領域'だから。
ま、おれの仕事はきっちりやるけどな、当たり前だけどさ。
マトリックス・エナジェティクス レベル3 & ニューヨーク珍道中 - Love my scarf, do you? -の最終回、書きたいことは、ひとつ。
それは、'素材'について。
たとえば、どいちゃんっていう'素材'があるだろ。
つまり、このブログを書いている、おれっていう素材。
それから、このブログを読んでいる、あなたっていう素材。
その素材をね、そのまま表現したとき、おれはね、本当に美しいって思うし、その表現こそが、その人が、生を受けて、表現したいと思っていることだと思うんだよ。
ところがさ、たとえば、会社みたいな組織に入ると、自分の素材を表現するっていうよりは、会社っていう生き物の一端を担うために、おれが、わたしが担うことはなんだろう???って考えて、自分をその枠にはめて生きようとするだろ???
その対価として、報酬を受け取るよね。
その循環のなかで、さっき書いた、自分っていう素材を光らせて、表現して生きていますか、っていうことをおれ、おれ自身にも、あなたにも、すっごい興味津々で聞きたいの。
ちなみにおれ自身どうなの、っていうと、直感的には、70%くらい、おれの素材を出しているかな、って感じ。
そろそろめんどくさくなってきたから、直球で書こうか。
おれたちの魅力、輝きっていうのは、おれたちの素材を、どれだけ飾らずに表現して生きているか、っていうことにかかっているとおれは思っている。
もっと端的に言うと、表現しようなどとは思わず、自分の感性のままに生きることを自分に許して、あけっぴろげで生きてるとき、その人は、その人の素材のままに生きている、っていうわけ。
おれね、マトリックス・エナジェティクスを受けたから、っていうわけじゃないんだけどね、おれがずぅ~っと求めていた状態って、'おれっていう素材のままに生きる'、っていうことだった、っていうことにようやく気がついたんだよね、人生36年もかけてさ。
だからね、ヘボイ人生であっても、優雅で、しっとりした人生であっても、波瀾万丈な人生であっても、その人生の表現の仕方がさ、なんども繰り返すけどさ、'おれっていう素材のままに生きる'っていう感じに生きた結果そうなったんならそれでいいし、それこそが、おれが本当に追い求め、おれにとっての幸せだって気がついたんだよ。
素材のまま生きると、どうなると思う???
あなたは気づかないかもしれないけれど、たとえばさ、あなたがCafeでコーヒー飲みながら(おれはコーヒーはほとんど飲まないけどな)、素材のままのあなたの雰囲気で過ごしていたり、仕事していて、素材のままのあなたのままにプロジェクトを進めたり、あなたの感じるまま思うがままのことをブログで書いたりしているだけで、あなたという存在が自然と波及し、伝わり、それが、受け取った人たちの意識との飾り気のないコミュニケーションになるわけ。
ある人は、自分に起こっていることを、うまく表現できるから、ブログのコメント欄に投稿してくれるかもしれない。
ある人は、あなたの素材メッセージを感じて心地よくなり、身近な、大切な人に、自分のなかに起こったことを、夕食の団らんのひとときに話してみるかもしれない。
なにが起こるのかは、おれにも、あなたにも計り知れない。
けれど、あなたも、おれも、素材のままに生きるようになると、なにかが変わる。
素材のまま生きることと、仮面をかぶって生きることとの違いは、素材のままにいきはじめると、その影響力は、あなたや、おれの人生にはとどまらない、っていうこと。
誤解しないでほしい。
あなたは、おれは、誰かを変えるために、誰かに変わってほしいから、自分の素材のままに生きるのではない、っていうこと。
あなた以外、おれ以外のなにかへの影響力を意図して行動するとき、それは、あなたは、あなたの素材から生きていない。
あなたは、おれは、素材のままに生きればいい。
人を解放しようなどと、たいそうな意図はいらない。
おれが今年のはじめ、"生きるのがますますラクになる年。"ってメッセージを受け取ってブログに書いたんだけど、その意味がいま、すっごくわかるわけ。
それはね、おれが、"自分の素材のままに生きることを許すことができた元年"っていう意味だったわけさ。
ところでいま、世の中、激変してるよね。
人類が築いた基盤がひっくり返ったり、あるいは、天変地異だったりさ、最近起こっていることって、人類のコントロールの配下にはないことが多いよね。
そんななかで、生を感じさせてくれるというか、生きてみようかって思わせたりしてくれたりとか、新しいなにかを生み出すタイミングに来ているんじゃないかって思わせてくれる存在が身近にいるとしたら、それは本当に幸運だし、その存在は、そのままに、その人の素材丸出しで、あなたに接してくれているんじゃないかな。
今年のおれの最大の変化がなにか、っていうと、外側の変化におれを対応させた結果の変化ではなく、おれの内側にずっとあったなにかに適応させることができた度合いの変化が、ものすごくおおきい、っていうことなの。
それはね、おれが、おれっていう素材に気がついて、おれっていう素材を愛しく思って、育んでいこうって思えるように、ようやくなったよ、っていうことなの。
いま起こっている世の中の激変の本質は、天変地異とかもそうなんだけど、それよりもはるかに強烈に訪れている変化は、自分の素材に気づいて、その素材のまま、感性のまま、生きるときが来ましたよ、っていうことなの。
(完)
.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*・゜
Today's Photo:
"素材は、素材を意識しない。"[West 78th St, New York](19st September 2011)
.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*:.。..。.:*・゜゜・*・゜