ここに中土井 僚さんのインタビューをご紹介させていただきます。
中土井 僚さんは、先日のブログでご紹介させていただきました、" クオンタム・チェンジ ワークショップ ~真の自分に繋がる旅~ "を創り上げ、ご自身の人生体験も踏まえながら、このワークショップを更に進化、発展させていらっしゃる方です。
---++ ご参照下さい ++---
■ お知らせ ■ クオンタム・チェンジ ワークショップ ~真の自分に繋がる旅~
http://allthingsarepossible.weblogs.jp/blog/2007/11/post_5236.html
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中土井 僚さんをご紹介させていただく前に、私のコメントも入れようと思っておりましたが、言葉が降りてきません・・・
そのまま、あるがままに、中土井 僚さんインタビューを掲載させていただきたいと思います。
インタビュー記事は、中土井 僚さんが主催していらっしゃる勉強会("アファメーション倶楽部"。2005年6月より東京で月1回開催中)の参加者である、佐野 恭子さんが編集されたものであり、佐野 恭子さんの許可をいただいた上で掲載させていただいております。
佐野 恭子さん、ありがとうございます!!!
そして、2007年9月、クオンタム・チェンジ ワークショップで私を最後まで見捨てず、救い上げて下さった中土井 僚さん、そして仲間たち、本当に、本当に、本当に、ありがとう!!!
私の魂はいま、大喜びしております!!!
中土井 僚さんインタビュー記事のダウンロードはこちらから!!!佐野 恭子さんの感性が光る、美しい色調、体裁に仕上がっております!!!ぜひぜひ、ダウンロードしてご覧下さいね!!!
■ 中土井 僚さんインタビュー記事ダウンロード (1.8MB) :
中土井 僚さん インタビュー記事
* インタビュー記事をダウンロードできない方、ダウンロードする手間が惜しい方・・・以下にインタビュー記事の全文を掲載いたしますので、ご覧下さいね。
鮮やかに見える懐かしい風景
10月21日の晴れた日曜日に出会えた、りょうさんの「今まで」と「今」
「今まで」―りょうさんを大きく変えた出逢い
*未来日記が読めた日
2007年8月18日土曜日、りょうさんは家でパソコンに向かっていた。Wordで過去のパターン(メンタルモデル≒意識・無意識の前提)を完了する文章を書いていたのだ。
ここ2年間、何かに没頭しはじめると「自分や子供に全く関心が向かなくなる」と奥さんに不満を漏らされていた。りょうさん自身も頭ではわかっていた。「なんかおかしい、思いどおりに行かない」感覚。でもどうしたらいいのかわからない。普段から家事も手伝っているし、仕事の時間を短くしたりもした。でも奥さんは「そうじゃない」と言う。堂々巡りを繰り返しているうちに、この出来事を引き起こしていたメンタルモデルが見えてきた。そしてこのメンタルモデルを手放すため、文章を書くことにしたのだった。
Word2〜3枚分の文章を書いて過去を完了したとき、りょうさんの中で「スコーン!」とスペースが空いた感覚があった。そこで今度は、未来=新しいメンタルモデルを書いてみた。5年後の8月18日の未来日記だ。書き終えてみると、日記はWord7枚にもなっていた。
「自分でもびっくりするくらい壮大なものが出来上がったんです。実は作家の能力あるんじゃないの!?って思うくらい(笑)。今の延長線上にあるけど、今とは全然スケールが違う話になってました。書いているときに自然と涙が出てきて、“あ、この未来に逢いに行くな”っていう感覚になったんですよね。」
人と夢中で話しているときのように、何も考えなくても言葉がポンポンと出てきた。まるで小説の読み手であると同時に書き手でもある感覚だった。もともとどこかに記録されているかのようなストーリーを紐解いていく感覚でありながらも、りょうさんが書くことで文字として見えるようになる。一行先は空白。次に何を書くかなんて全く考えずに「ほうほう、次はどうなるの?」とわくわくして読みながら、文章を書いているような感覚だった。
こうしてりょうさんは、自分が大切にしたい価値観は明確に抱いていたものの未来のビジョンが見えなかった今までから大きく一歩踏み出し、「人々の中にある純粋な想いや願いの目覚めと、その実現を支援する」ことが、これから自分が生涯を懸けて取り組むテーマだと確信した。
*人生最初で最大のターニングポイント
「早く人生終わってほしいとずっと思っていました。中学生の頃から27、8歳まで、自分で自分を愛せないどころか、本当に憎々しくて“自分の人生はダメだ”と思っていた。生きることが辛くて、さすがに自殺未遂まではしなかったものの、“死にたい”“早くこの人生を終わらせたい”と思うことが何度も何度もありましたね。」
そんな自分の人生の限界感を抱えていたりょうさんの人生を180度変えたのが、榎本英剛さんと関京子さんとの出逢いだった。
2000年、りょうさんは仕事のストレスで心身ともにズタボロ、限界まできていた。それは5年間働き詰めに働いた上、実際の社内の評価とは裏腹に「ずっと失敗を繰り返している、おちこぼれてる感覚」だけを自分自身で抱き続けたことから来るストレスのせいだった。朝、起き上がろうとしたら立てなくなり、救急車で運ばれたこともあった。癌になったかと疑うほど、毎朝、枕にはびっしり髪の毛が抜けていた。仕事で自信をとことん喪失し、その上、上司との関係に悩み精神的に追いつめられたりょうさんは会社を辞めようと決意、福利厚生の一環として提供されていたカウンセリングサービスを受けた。そこで、「自分にはコンサルタントもエンジニアも向いていないと思う、より人の人生に深く関わる仕事がしたい」という想いをカウンセラーに打ち明けたところ、「アメリカから日本に導入されたばかりのコーチングというのを学んでみてはいかがですか?」と助言をもらう。その頃「何かを手に入れれば幸せになれる」と思っていたりょうさんは、コーチングのスキルを手に入れるため信頼できる上司からツテをたどった。そして出会ったのが、当時CTIジャパンを立ち上げたばかりの榎本英剛さんだった。
「僕はコーチングを学んでビジネスをやりたいって思っていたから、コーチングとカウンセリングの違いって何ですかとかいろいろ聞きながらも、結局は榎本さんにコーチングって儲かるのか儲からないのかを遠回しに聞いてたんですよ。あの手この手を使って(笑)。榎本さんは僕の質問に一つひとつすごく丁寧に答えてくださって。一通り質問が終わったあと彼が、“こんなこと言うと驚くかもしれないですけど”って切り出したので、何だろうと思って聞いたんです。すると彼は、“私はコーチングというビジネスが、世の中から一刻も早くなくなってほしいと思ってるんです。”っておっしゃったんです。僕はもう、“えっ!?”って。僕の中で、会社を立ち上げてビジネスをやるっていう人は、もう自分の儲けしか考えていない“猛者”だっていう認識があったから、もうびっくりしました。“どういうことですか!?”って聞いたら、“コーチングで教えていることは人間がもともと持っているコミュニケーションの当たり前の姿なんです。こんなことがビジネスになる世の中が本当におかしいと僕は思ってる。これが一刻も早く当たり前のように広まって、失業することが僕の夢なんです。そのために僕はこれを立ち上げてやることにしたんだ”って言われて。“すげー!!”って思いました。僕はビジネスなんて儲けるためにしかやらないと思ってたので。もしくは自己顕示欲を満たすためか、生活の糧にするものだと。その会話の最中ずっとCTIジャパンのPRもしなければ他のコーチング団体の批評や批判もしないし、奢りなんかどこにもなくて。“なんじゃこりゃー!!”って、ものすごい衝撃を受けましたよ。少なくとも、僕のそれまでの人生の中で全く出会ったことのない、初めてのタイプの方でしたね。」
りょうさんはかつてないほどの衝撃を受け、放心状態のまま約束の一時間が過ぎた。最後にCTIジャパンが提供するコーチングプログラムの案内をメールしてもらうことだけお願いした。そして、それまでセミナーや勉強会では一度も大枚をはたいたことがなかったが、「最悪、もしこれがだめでも、榎本英剛という人とより深く知り合えればそれでいい!」という強い想いに突き動かされて、コーチングプログラムの受講を決心した。
*自分の可能性を信じてくれた人
りょうさんは2001年1月からコーチングプログラムを受けながら、コーチとして活動しつつ、クライアント経験もした。そのときコーチをお願いしたのが、現在CTIジャパンのリーダーをしている関京子さんだった。彼女は当時、2期生としてご自身も学びつつ、米国CTIのシニアリーダー、フィル・サンダールさんの通訳をしていた。「彼女は少し自信がなさそうに見えるけれど、すごくスペースを持っている、どんな自分も受け止めてくれそうな心の広さを感じる人でした。僕は臆病だったから、その雰囲気に惹かれてコーチをお願いしたんです。」
そこからりょうさんは、京子さんとのコーチングの中で彼女の許しのスペースに解きほぐされ、物事を頭で考えがちだったところから徐々に変わっていった。そして応用コースの最終回、イン・ザ・ボーンズを迎える。
「僕は3期生だったんですが、噂ではイン・ザ・ボーンズはボロボロみんな泣きまくるって聞いていて。でも3期生ってなんとなくさらさら〜って流れてたんです。一人か二人がぽろぽろって泣くくらいで。なんかちょっと冷えてるなーと思ってました。でも結局その空気のまま最後の一言を言うところまできてしまった。僕は最後から2番目でみんなの様子を見て何を言うか決めようと思っていたので、さらさら流れてるし、ちょっと冗談でも言って場を和まそうと、言う冗談まで決めてたんです。それなのに僕の番になったとき、なんでかわからないけど、“ほんとに僕の人生は、グレムリン(自分の中にある自己制約的な声)に支配された人生だった”ってポロって出たんです。その瞬間にぶわーって涙が出始めて。“社会人になって、何枚もの名刺を交わしてきたけど、その人とほんとに心が触れるっていう感覚が全然なくて、もう、人生はこんなもんだって諦めきってた。こんな風に人に触れられる人生が戻ってくると思わなかった”って・・・。それを言った瞬間に、本当に自分の何かが空いたっていう感じがしました。そしたら京子さんがフィルさんの隣で、もうぼろ泣きして、通訳ができなくなっていて。そのときに“本当にこの人は、僕の可能性を本当に見てくれてたんだ”って思いました。会場もすごいボロ泣き状態で。まさか自分がそんなこと起こすと思いませんでした。あれは本当に不思議だった。なんであのときあの言葉が出たのか、今でもわからないんです。でも何よりも、そのときの京子さんの姿にものすごく打たましたね。僕のちょうど真向かいで、京子さんが嗚咽して泣いていた、未だにそのシーンは覚えています。」
「臆病で虚勢を張り、ロジックで自分を誤魔化して今まで生きてきた」りょうさんだったが、二人との出逢い、コーチングとの出逢いを機に、全く新しい人生のスタートを切った。
アファメーションの勉強会でしかりょうさんと接したことのなかった私は、この話を聞いて、りょうさんも私と同じ一人の人間なんだと今さら実感した。それは、幼い頃に親や先生が無条件に“すごい人”に見えていたところから、ある日急に、自分と同じ一人の生身の人間なんだと気付く感覚に似ていた。榎本さんに初めて出逢ったときのことを話すりょうさんはとても興奮していて、「!」だけでは到底表せないほどだったし、イン・ザ・ボーンズでの出来事は涙を流して語ってくれた。りょうさんは、弱さも痛さも、驚きも喜びもすべてひっくるめた、人間味溢れる彼自身を惜しみなく私に見せてくれた。
りょうさんはそれから、自分の見たくないところを見つめては、それを一つ一つ受け入れ、手放すことを、丁寧にずっと繰り返してきた。ちなみにりょうさんいわく、「受け入れることと手放すことは同じこと」。そしてメンタルモデルを受け入れる(手放す)ことは、喩えるなら、今まで岩のように硬くて重く、とにかく捨てたいと思っていたものを、「これがあってもいいんだ」と認めて抱きしめたとき、実はそれが雲のように形も重さもなく、そこには空(スペース)が広がっていることに気付くような感覚らしい。私はその「クオンタム・チェンジ」を体感したことがないので想像の域を超えず、好奇心ばかりが膨らんだ。
そしてつい先日も、りょうさんは一つのメンタルモデルを手放したばかりだった。
*りょうさんと、りょうさんのお父さん
「僕は父親との関係を一歩引いて作っているのは知っていたけど、それを父親と本当に愛情を分かち合う関係にずっとできていないっていう感覚がありました。」
りょうさんの父親は貿易船のコックだった。広島の田舎町の中で、海外に出て世界を知っている父親は一目置かれた存在であり、りょうさんにとっても憧れの存在だった。しかしその反面、「こうあるべき」という父親の強い持論を押し付けられ、怒られることも少なくなかった。それがりょうさんは恐ろしかったし、理不尽だと感じることもあった。「僕の家族はすごくコンサバティブでリスクをヘッジするタイプだったから、僕の自由奔放さが恐ろしかったみたいで、これやっちゃだめ、あれやっちゃだめと言われることが多かったんです。だから自分が自分らしくいられない、わかってもらえない感覚がずっとありましたね。」
二年前に参加したセミナーをきっかけに、りょうさんは父親との関係をクリアにしようと、何度もチャレンジしては失敗してきた。そしてやっと、つい二週間前に、本当に自分が言いたかったことを父親に伝えられた。
「本当に父親が誇りだった反面、自分が大人になっていくにつれて、わかりきってることをとうとうと諭されたり、私の観点から見てみれば的を外していると思えるようなことを“これが正しい”と言われるのが嫌だったんです。そんな不器用な父親がまた不憫にも思えてしまって。そのことをずっと言いたかったんだけど、それを言うと父親を壊してしまうんじゃないかっていう思いが言わせなかった。でも、本当に言いたかったことを伝えて、その想いを自分自身も味わえて父親に受け取ってもらった時、自分の中にすごいスペースが空いたかんじがしました。」
そしてりょうさんは気付いた。今まで他人を、分かっているか、分かっていないかで区別していたこと、分かっていない人を分からせようとし、ダメだったら逃げるか叩きのめすというパターンをずっと繰り返してきたこと。頭ではわかっていたけれど、改めて腑に落ちたかんじがした。分かっていない自分は、誰かに支配されるんじゃないかという恐れがあった。それを補うためにとことん学んだ。いつの間にか、父親との接し方を全ての人に対してしていた。それがあるんだと本当に受け入れた時、同時に手放せた。
この話を聞いて私は、やっぱりそこに戻るのか、と思った。今の自分を見つめたとき、両親や家族との関係が大きく影響していることを知ってはいた。でもそれがわかっていながら、家族と、両親と真正面から向き合うことを今までなおざりにしてきた。見て見ぬふりをしていた。けれども、両親は自分が生まれて最初の出逢いであり、すべての始まりの、大きな大きな出逢いなのだ。
「親子関係は大きいです、とても。ベースだと思います。僕が今回、本当にわかったのが、出会う人すべてに対して、父親系か母親系か、どっちかに区別して人は接してるなって。ざっくり言って。僕の今までの人間関係も見てみたら、簡単に分類されていたんですよ。」
「今」―りょうさんが伝えたいこと―
未来のビジョンが見え、一番の元になっていた父親との関係もクリアになったりょうさんには、私の想像の範疇を遥かに超える出来事が起きはじめていた。平たく言ってしまえば、りょうさんがMLで宣言したことの共鳴=奇跡的なことがそこかしこで起こると同時に、りょうさんの持つメンタルモデルが今まで以上に敏感になり、刺激されたときの反応がその場で身体に影響が出るほど、顕著に現れるようになった。
そのりょうさんの体験談から話は膨らみ、私の収拾のつかない方向へとどんどん展開していく・・・。(以下インタビュー形式)
*人間の認識の限界
りょう 一言で言うと、“なんじゃこりゃー!!”という状態。僕は、クリアになったら奇跡的なことが起こることは知っていました。だから早くクリアにすることは大事だなって思ってたんですが、クリアになってないことのインパクトも瞬時に起こるとは知らなかった。それが一番驚きましたね。父親との関係が完了したらバラ色の人生が訪れると思ったのに、いざ手放してみると、自己管理がすごい大変(笑)。もうびっくりしました、本当に。瞬間的に胃が痛くなったり、左耳が聴こえづらくなったりと自分の身体にこんなに反応が出るのもびっくりしたし、周りの人に影響するっていうのも驚いた。僕の尊敬している師匠の方たちが、自分をクリアにすることをすごく大事にされているんです。それが彼等が果たそうとしている責任の一環だというのは、僕も知ってはいました。自分が幸せになりたいからやっているのではなく、自分がクリアでいることが、どれだけ世界にとって大切かというのがわかって実践しているのが見てとれた。でも、それが一体何を意味するのかはわかりませんでした。(最近になって)こういうことかー・・・えらいところに踏み込んだな、と思っています(笑)。
おきょう さっそくついていけません(笑)。直接見えないところでもつながっているっていうことでしょうか。そう言えば、最近ほんの少し芽生えた感覚があるんですが、「自分は“佐野恭子”という個性ある独立した存在であると同時に、何か大きなものの一部なんじゃないか」と思うことがあって・・・。
りょう ほんとにその通りだと思う。と同時に、実はそこには人間の認識の限界みたいなところがあって。もともと宇宙はエネルギー体だから、本当は一つのはずなんです。一見、物理的に離れているように見えるけれど、実は高分子、分子、原子っていうふうに物質を分解していって素粒子の世界になると、全部が粒であり波であると言われています。だから、僕とおきょうちゃんも、一見分かれているように見えるけど、素粒子の世界では一体化してるんです。MLで僕が紹介した『シンクロニシティ』に出てくる表現の一つに、「内蔵秩序」というのもがあるんですが、それは、全体は全体として部分を持っていると同時に、部分は部分で全体を包含しているっていうことを言っているんですよ。自分自身が宇宙の中にいて、かつ自分の中に宇宙がある。しかもそれらはつながっている。・・・もう人間の認識を超えてるんです。
おきょう わかるようでわからないような心地の悪さが・・・。こういう話は何度してもすっきりしないんですよね。
りょう 本当に人間の認識の限界を超えているからね。僕は今いちばん、“人間が言語の動物である以上、因果関係でしかわかりようがない”というのを伝えたいとすごく思っていて。さっきの素粒子の話に戻ると、『シンクロニシティ』の中で、ある粒子が回転すると、まったく別のところにある粒子もそれと同時に回転するという話が紹介されているんです。例えば、ニューヨークの粒子が回転すると同時にロンドンにある粒子も回転する。これを言葉で理解しようとすると、“粒子Aが回転すると粒子Bが回転する”っていうふうに因果関係に捉えがちですが、実を言うとどっちが先に回転してるかはわからないんです。同時に回転してるので。ただ、人間の言語体系が因果関係でできているので、人間は因果関係でしか認識できない。おきょうちゃんが言ったような“大いなるものがいて私がいる”とか、“私が××だから○○が起こった”とか。
さっき、僕がクリアになったから、奇跡的なことが起こったって因果関係で表現しましたが、それも実は周りがクリアだから僕がクリアになったかもしれないんです。ただ、“私”っていうのは自分の言動しか扱えないように見えるから、自分が変わるしかない。自分が原因、源泉という立場で物事に関わるという表現がよくリーダーシップの文脈で使われるんですが、それは自分の『せい』だと思いなさいとか、自己責任だと思いなさいという意味ではないと僕は思っていて。どっちが原因でどっちが結果のなのか実は全然わからないけれど、少なくとも人間は自分の言動しか扱えない。だから、真実かどうかは別として、自分が変わるしかないんです。仮に100%相手が悪いと見えていても、相手に“あんたが変わってくれないから”なんて言ったところで始まらないことの方が多いですよね。「他人と過去は変えられない」とよく言われますから。また、自分の言動を変えることで結果が変わったように見えるんですが、それも本当のところ、自分の『おかげ』で変わったかどうかはわからないんですよね。因果関係を幅広く捉えるようにできるようになると、妙な気負いもないし、責任という言葉が自分のせいだっていうふうに聴こえなくなります。究極的には何が原因かはわからないけど自分の言動しか扱えないから自分を扱おうという責任感覚になるんです。
*“因果関係”という枠が見えれば、人はもっと自由になれる
りょう 人間は因果関係でしか物事を認識し得ない、そこをわかって日常生活を送っているのと、自分が捉えている因果関係は絶対に真実だと思っているのとでは、かなり違いがあると思っているんです。そこをものすごく伝えたい。それが本当に人が自由になり得る扉だと、僕は思っています。例えば、『シンクロニシティ』を表面だけで読めば読むほど、“何か決意しないと始まらないんじゃないか”とか、“大いなるものみたいなものがあって、それに導かれるのがいいことだ”と思ってしまいがちです。クオンタム・チェンジでもそこがうまく伝えられてないから誤解が生まれていると感じることがあるんですが、参加者がメンタルモデルを変えなきゃいけないって思って、メンタルモデルを変えるのに躍起になっているように思えることがあるんです。でもそれは“変わってない自分はダメだ”というメンタルモデルが影響しているだけなんですよね。そうすると、やればやるほど自分が変わってないことにショックを受けはじめてしまいます。
“究極、何が因果関係かわかんないから、まずはメンタルモデルを変えてみよう”っていうのと、“メンタルモデルが変わらないと自分が変わらない”“大いなるものとつながらない”って思っているのとでは、大きな差があります。そこが、うまく伝えられてないなって思っています。平たく言うと、決めつけないってことなんです。“メンタルモデル変えるのがいいかもね〜、まぁそうかもね〜”みたいなスタンス。そのくらいのスタンスにしておくと丁度いいんですよね。
おきょう “決めること”と“決めつけること”の間には、大きな大きな差があって、それがわかっていると、“これもありだけど、私はこっち”という考え方ができる、ということですか?
りょう そうそう!その感覚が掴めると、人生を生きていく上での全ての選択は、コーヒーか紅茶かというのと一緒くらいの選択になるはずなんです。どっちでもいいよ、好きな方でいいよねって、自由な選択ができる。本当は紅茶も飲めるのに、「私はコーヒーを飲まないと不幸になるから紅茶は飲まないんです!!」って決め付けて生きていくのは窮屈な感じがしますよね。とはいえ、それが悪いわけではないですけど。ただ、因果関係の枠でしか考えられていないことに気がついていないと、どっちかを絶対視してしまうので、その結果、“○○ができてないから自分は不幸だ”“××をやってないからあいつはだめだ”っていうふうに考えてしまう。本当はどっちが原因でどっちが結果かはわからない、そこを掴んだ上で限界を突破できると、ずいぶん自由になれると思っています。人を責める必要も自分を責める必要もなくなるから。でもこれを言葉で理解してもらうのではなくて、感覚で掴んでもらうっていうのはまだ見えません。それが出来たらクオンタムチェンジの次のコンテンツが出来ると思っているけれど、どう伝えていいかはまだわからないですね。
おきょう ぜひ、お願いします!!そこ。
りょう (笑)。必ず、喧嘩したり腹が立ったときって、因果関係で物事を捉えているからだと思うんです。“あの人がああ言ったから私はこうだ”という捉え方に囚われている。この状態から抜け出すには、それをもう一人の自分が見つめるしかない。“やっぱり自分は因果関係でしか理解できないんだな”、そして、究極的には何が原因なのかはわからないんだから、自分が原因ってした方が手っ取り早いよねっていうのがシンプルに見えるはずなんです。
おきょう なるほど・・・・・・・・。“因果関係”という枠があって、その中に自分が入り込んでいると、その因果関係というのも一つの枠であることが見えない。それから一歩出ちゃって、もともとそこに枠があるんだよっていうのを見ると、もっと外に広がってるのがわかるんですね。
りょう そうそうそうそう。みんな、“因果関係でしかない”って思ってる。それが、人間が持ってる一つのメンタルモデルなんです。そして、何が原因で何が結果としてみているかはそれぞれ人によって異なっている。ただそれはあくまで一つの見方であって、真実なのかわからないっていうところに立って見てみると、見えるものが違ってくる。それがわかった上で因果関係を使うと、自由でいられます。落ち込んだりしないし、傲慢にならなくなる。勉強会の参加者の方がよく僕を謙虚だって言ってくださるんですが、それはなぜかと言うと、僕はあの勉強会の場を自分で起こした、自分のおかげでこんな風になったとは思ってないからだと思うんです。ほんとのところどうなのかわからない。ただ、僕は自分しか扱えないので、自分を原因として自分が出来ることをやっている。そして、自分がやったから勉強会で成果が生まれたという因果関係で結果を捉えると傲慢になってしまうので、それを手放してるだけなんです。それに、どうやらそういうふうにやってる方が、みんながハッピーに見えるし、すごく場が広がっていく感じがする。だから僕は謙虚でいようとしてるんじゃなくて、結局、因果関係捉えた所で本当にそうなのかはわからないので、そんなことで一喜一憂してもしゃあないよねって思ってるだけなんです。
*偶然に身を委ねながら、自分で舵をきる
おきょう りょうさんの人生のテーマ「人々の純粋な想いと願いの目覚めとその実現を支援する」についていくつか質問なんですが、まず、“純粋な”というイメージはどういうかんじなのでしょうか。
りょう 脳の話になるんですが、マクリーン原図によれば、脳の構造は原始爬虫類脳、大脳辺縁系、大脳皮質の三層で表されています。例えば車を運転していて、突然右からバイクが飛び出してきた時、反射的にブレーキを踏む動作を原始爬虫類脳が司っていて、その後、“危なかった”“恐ろしかった”とか“出てくんな、ふざけんな!”という感情を司っているのが大脳辺縁系。それに対して、ドライブでここにこのルートで行こうと計画を立てているのが大脳皮質の中の前頭前皮質でやっています。この脳というのは、人間が動物として生き残るための構造になっているので、生き残るという意味ではこの脳でうまくいくんです。ところが、生き延びようとする脳のパターンを使うと充実感がない。生き延びようとしているだけなので、その思考で先を予測して打った手というのは、想定の範囲内でしか物事が起こらないのでわくわくしません。そういう意味ではさっきの脳の仕組みの限界だと言えると思います。ところが、これがわからないんですが、何なのかわからない深い部分につながった時に、体が熱くなったり、ワクワクしたり、インスパイアされた感覚が出てくるんです。しかもそれが、実は奇跡的なことを起こすものだったりする。さっきの脳の範囲を超えているんですよね。その、先を予測して起こしたものじゃなく、本人も知らないうちに溢れ出てきたものを“純粋な”と表現してます。
おきょう なるほど・・・。言葉で理解するにはなかなか難しい、歯がゆい感じがしますが(汗)。では、その“純粋な想いや願い”を支援をしているときのりょうさんはどんなかんじですか?
りょう 自分が何かが起こる『場』であったり『スペース』のようになっていて、自分が何かをするというより、勝手に起きている、そのときが訪れる、に近い感覚です。どうやるかって言われたら、“訪れるように自分をつくる”かんじです。自分が負のメンタルモデルに支配されてる状態(脳の思考に支配されてる状態)だとそれが訪れないので、訪れるようにクリアにしているとしか言いようがないですね。
おきょう 人に対して何か働きかけるのではなくて?
りょう そうそう。お笑い芸人がよく、笑いの神様が降りてくるって言うけど、その感覚に近いですね。お客さんを笑わせようと考えてやっても笑わせられないし、感動も人を感動させようと思って出来るものじゃない。“目覚め”っていう言葉もけっこう難しいところがあって、これも言葉(言語を元にした認識)の限界なんだけど、“呼び覚ます”っていうと、僕が原因で相手が結果に聞こえてしまう。“目覚める”っていうとその人自身が起こしているように聞こえて、“訪れる”だと第三者が原因になるから、言葉では正確に表現できないんです。どれも本当は、僕の感覚から言うと違うんですよ。
おきょう 正確に表せる言葉はないけど、その中でも一番近いと言えば「目覚め」というかんじなんですね・・・。そもそもりょうさんの“クリアになる”っていう感覚は、どういう感覚なんでしょうか。
りょう 特徴的なものとしては、常にパワーに溢れている感じがして、鬱々とした気分は一切ない。先のことを予測していない。本当に“今”にいる感覚です。それから、意識が常に足の先まで体全体に行き届いているかんじがします。あと、人と一緒にいる時に、相手とそのまま居られる。逆に調子が悪いときは自分の思考に意識が向いているから、相手の話も先を予測したり、ジャッジしたり、ときにはイライラしたりしてしまいます。クリアな時は、さっきの未来日記を書いてるときのような感覚が常にありますね。
おきょう りょうさんのお話を聞いていて、りょうさんは想いを言葉にすることの強さをアファメーションで伝えていると同時に、言葉の限界も感じているふうに見えたんですが。
りょう 言葉というか、認識の限界に近いです。繰り返しになりますが、人間の認識は因果関係でしかつくれなくて、認識はどうやって作ってるかというと言語が作ってる。だから認識の限界があるんです。じゃあ、アファメーションは何をやっているのかっていうと、原因と結果を理解しようとして使う言葉ではなくて、世界はこうなるんだっていう魔法のノートを書くのと一緒の作業をやっていると思っていて。アファメーション=宣言というのは、自分がこうやると決意表明をすることというより、単純に魔法のノートを書く作業なんです。例えば、僕が何かを宣言したから、これからがんばります!というかんじじゃなく、それは勝手に起こる。それをクリアな状態で言えば言うほど、別に僕が何をしなくても勝手に起こってくるんです。それが本当のアファメーションの姿だと僕は思っています。先を予測して今の行動を決めるのではなくて、誰かが書いた小説が始まるように、自分の中を空っぽにしておく。ただ、偶然次第、運命次第の生き方との違いをわかっておく必要があって、なんでも“運命のせい”ではなくて、あくまでその瞬間、自分のベストを尽くす。結局は自分を動かすしかないから、自分の出来ることを最大限やることが大切ですよね。
* * * * *
アファメーションは、まさにりょうさんが8月18日に書いたものと同じような、小説のタイトルを決めることに近い。そしてそこには妙な気負いがない。りょうさんがMLで「具体的に何を決意したことになったのかわからない」と言っていたあの状態は、ある意味ベストの状態だったということが、なんとなくわかった。もしあの時先を予測していたら、その時点でクリアではない。まさに理想は「偶然に身を委ねながら自分で舵をきる」ことである。
当たり前の話だが、りょうさんが話してくださった内容は私にとってわからないことだらけだった。ただ、“わからない”というのは、まったく響かない、受け付けられない話ではなく、脇腹の隅っこの辺りでは、実は自分も知っているんじゃないかと錯覚するほどしっくりきているような気もした。でもやはりそれは自分の感覚にはなっていない、消化しきれないものだった。
私は、たくさんの枠を気づかないうちに描き、時々それに苦しんでいる。でも本当にその枠は存在するのだろうか?たまたま、今の私の器(体)だからうまくいかないと思い込んでいたり、忘れていたり、変えづらいだけであって、本当はもっともっと自由で、本来、無限の可能性に満ち溢れている。その今の限界と本来の可能性の両方を見つめたら、もっと今より楽に、肩の力を抜いて生きられるんじゃないだろうか。りょうさんの話を、言葉ではなく体で本当にわかったら、私は今よりずっとシンプルに、余計な力を抜いて、波に揺られるのを楽しみながら生きられそうだな、と感じた。
私たちの中には、心を澄ませば澄ますほど、鮮やかに見えてくる懐かしい風景がある。きっとりょうさんは、その風景を見つめる喜びや、味わう楽しさを、私たちに分かち合おうとしてくれている。
文 佐野恭子
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Today's Photo:
"光明"[雲仙](1st December 2007)
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