以前にもサイキックな力について、ブログに書いた記憶があります。
私はどういうわけか、サイキックな力にこだわっています。
以前は人と違う自分でいたいとか、人にズバスバ言う自分がカッコイイからとか、エゴによるこだわりなのかと思っていました。
けれど、それはもしかしたら違うのかもしれないと気づく出来事が起こりました。
ある方とのコーチングサンプルセッションを通じて気づかせていただいたことです。
それは、私がサイキックな力を余すところなく表現することや、直感をオブラートに包まずに表現することを非常に怖れているということです。
その怖れがどういう風に影響しているのかについても理解が深まってきました。
私に怖れがあると、私の感性と調和しない価値判断によって、サイキックな力や直感を通じて受け取った情報に色をつけてしまうのです。
するとなにが起こってくるのか、だんだんわかってきました。
人を傷つけ、私自身も傷つくのです。
今回のことで、どうして価値判断が働くのかについて気がついたことがあります。
それは、価値判断という鎧によって私が私を守ろうとしているということかもしれない、ということです。
それでは、価値判断という鎧をはずすとなにが起こるのでしょうか。
おそらく、真理が出現するのだと思います。
真理は、価値判断の鎧をまとっている私にとってはとても受け容れることができないことかもしれません。
もし出現するものが真理であるなら、私の感性はそれがまぎれもない真理であることを、私のすべての感覚を通じて私に伝えようとします。
その真理が、私がそれまで自分を守るために纏ってきた鎧である価値判断と相容れないものであり、それまでの私のあり方をくつがえすようなものであるとしたら・・・
それは、私にとっては本当に怖いことです。
そして、私はサイキックとの関わりを怖れていることにも気がつきました。
サイキックは、真理を包み隠さず表現し、すべての感覚で受け取っている情報をオブラートに包まずに伝える存在であるからです。
こんなに深い気づきをもたらすきっかけをくださったその方に、私は感謝しています。
もしかしたら、このことに私が気づくようにと天が私に遣わした方かもしれないと思っています。
本当にありがとうございます。
私はこの怖れを超えていきます。
サイキックな力をふたたび目醒めさせるプロセスで私に起こることについては、今後もときどきブログに書いていきます。
■ 自分探し (第9話) ■ 混沌を超えて光溢れる世界へ・・・
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"可能性の宮殿"[SAGB, London, England](23rd April 2008)
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