昨日、書店で『千の風になって』を立ち読みしていて、とても心に残るお話がありました。
それは、昔お付き合いしていた男性が39歳で亡くなったことを知らされた女性が綴ったエピソードでした。
もう逢うことはないと思ってはいたけれど、こうして亡くなり、この世を去ったことを知らされたとき、「なぜ・・・」という思いとともに、いろいろな想いが沸き起こってきたことを、この女性は書いています。
私はこのエピソードを読み、自分の内側から深く、なにかを語りかけられ、なにか大切なことを想い出させられているような感覚になりました。
この時、身体もだるい感じになり、身体もなにかを受け取っている感覚があったので、カフェで少し休み、瞑想をしました。
やはり瞑想をしていても、なにかいま、私は大切なことを見失っているか、大切なことを見ないようにしている状態にあることを、感覚的に伝えられた感じになりました。
『千の風になって』のこの女性のエピソードを読み、私のなかになにかが喚起されたようです。
すぐにやってきた言葉は、
"一期一会"
でした。
"目の前にいる人を大切にすることとともに、その瞬間瞬間に訪れる、自分の感覚を大切にし、直感をとおして受け取った感覚を信頼して生きることをもう一度、想い出しなさい"
このことを私は喚起されたのです。
私はなんのために人生のリセットをかけたのか。
最近、怪我をしたり、転職活動の展開が思わしくないように感じることは、私になにを伝えようとして起こっているのか。
このふたつのことをあらためて、私のなかに強く感じる日となりました。
そのこたえは、本当にシンプルです。
"私のなかにある感覚を、そのまま信頼して人生を進んでいくこと"
本当は、人生は本来の自分、'わたし'に還っていくために、私たちにいろいろな試練を与え、軌道修正するためにあるのではないと、私は感じています。
本当は人生は、喜びに満ち溢れながら、自分も周囲も喜びに満ち溢れながら膨らんでいくものであっていいということを、私たちが想い出し、私たちの感覚をとおしてやってくるこたえのままに、宇宙にその流れを委ねるような想いで生きてよい、ということを私たちが全身全霊で想い出すためにある、と私は感じています。
先ほど、私は瞬間的にこれまでの人生を振り返り、人との関係性も、恋愛も、仕事も、お金のこともすべて、私が自分の感覚に正直になって、自分の感覚を完璧に信頼して進んでいるかどうかを示してくれている試金石だったことに気がつきました。
自分の感覚を信頼して進めば、人生は調和に満ち溢れたものになる。
自分の感覚を押し殺して論理を駆使し、過去や未来を思い煩うとき、私のエネルギーは低下し、宇宙からのサポートを閉ざしてしまう結果となり、人生は調和の欠いたものになる。
このことをまるで走馬灯のように想い出させられる瞬間が訪れました。
ありがとうございます。
私は私の感覚を信頼し、行動の結果はすべて、宇宙に、神に委ねる人生を生きます。
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Today's Photo:
"感覚にひらく"[Glastonbury Tor, Glastonbury, England](17th October 2007)
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