Message: "あなたの人生に招き入れたいと想うことが、あなたの本質と調和するとき、それは訪れる"[おかげ横町](4th September 2009)
最近、パートナーシップについてよく想います。
もし、愛する女性と一緒に人生を歩んでいくとするなら、私はその女性とのパートナーシップになにを求めているのか。
自分に問いかけてみますと、混沌としていて、矛盾していて、本当はどうしたいのか、クリアーではないんですね。
人には必ず、こうしたいっていう、本質とつながったこたえがあるんですけれども、そのこたえが、その人にとってのこたえなんだって、気がつかなかったり、気づかないフリをしたりすることがよくあります。
どうしてかというと、自分の本質に向き合って、本当に本質の声と同調して生きるっていうことは、怖いって感じてしまうからだと思うんですよね。
本当に本質の声と同調して生きようとするなら、なにかを変える行動が必要になることがあるからです。
そもそも、私のように、パートナーシップになにを求めているか、なんて問いかけていること自体、私自身が自分の本質から目をそらしてしまっているっていうということなんですよね。
自分の本質とつながっていて、本質の声そのままに生きていたら、こんなまるで迷っているかのような問いかけを、自分という宇宙に向かって投げかけたりはしません。
見方を変えるなら、私の本質という宇宙が、私が本当に求めている軌道を示そうとして、私にその問いかけを投げかけてほしいとサインを送ってくれていることなんですよね。
自分の本質のままに生きているなら、世の中がどうあろうが、人がどういおうが、泰然として、自然な流れと伴に生きていると思います。
Message: "泰然としておれ。それがそなたの本質の姿。世に見る姿は見せかけの姿。それが浮き世である"[皇大神宮別宮 伊雑宮](5th September 2009)
最近、自分の人生を車輪にたとえたとき、その車輪はバランスよく、美しい姿になっているかどうかを確認しようと想って、パソコンに保存しておいた、自分に宛てた直感的なメッセージを読み返していました。
思いがけず、私がザンビアに滞在している時に書いていた、写真付きのメッセージが出てきて、びっくりしてしまいました。
愛する女性とのパートナーシップについて、なにを求めているのか、写真と一緒になったメッセージが出てきて、そのことにふたたび、向き合う時が来ているんだなと感じました。
こう書いてありました。
"ともに人生を歩み、愛しあい、感情を分かちあい、信頼しあい、お互いの生き方を尊重しあい、高めあい、励ましあい、助けあい、ふたりをコアとした夢を実現しあい、、、そして、ふたりがひとつになることによって、ふたりのなかにより大きな愛と喜びを創造し、私たちふたりに触れあう多くの人々にも大きな愛と喜びをもたらすことができる関係を築いていきます"
忘れていましたが、ふたりがひとつである、その絆をコアにして、人生を歩んでいきたいんだということを、想い出すことができました。
言葉自体は、とてもロマンチックで、抽象的なんですが、私がパートナーシップに求めている軸をはっきりと感じることができ、この言葉を想い出すようにしたら、時が来れば、どこかでめぐり逢うんじゃないかと感じています。
自分がクリアーで、いつわりなくあることが、大切な出逢いを引き寄せるためには、本当に大切なのでしょう。
私の本質に感謝!
Message: "遅くなっても待っておれ。それは必ず訪れる"[皇大神宮別宮 伊雑宮](5th September 2009)
人生は本当に親切で、優しいんだと思います。
その人にとってのタイミングではなかったり、違う流れにあって準備ができていないときは、その人にとって本当に大切なことは訪れなくって、その人が内に、外に、心が向かうタイミングがそろったとき、大切なことがやってきて、それをつかむことができる。
その人が人生のどこかのタイミングで、本質と調和した想いを意図したとき、それは、向こうからやってくるようになっている。
そのタイミングまでは、気がつかないままに、着々と、準備をしていくようになっているんだと感じます。
意図しているのに、なかなか叶わなかったり、どうしても叶えたいって、どこか心が力んできるときは、そのことを本当に求めているのか、自分に問いかけてみてください。
不思議に思う人もいるかもしれませんが、自分が求めていることは、実は、本当は求めていなかったりすることがあります。
意図していることと、本当に求めていることが調和しているのか、それが大切。
Message: "素直な自分の想いを、自分の内に、そして、自分の周囲にめぐらせる。そこから、宇宙に向けて意図する。それを、三位一体という"[天の岩戸](5th September 2009)
幸せを感じたり、充実感を感じたり、成功していると感じているとき、その人は、その人の本質とつながり、自分らしさのパターンでその状態に入っているんだと思います。
私は、スピリチュアリティーや成功哲学の本をずいぶん読んできましたが、読みながら心高まる感じがするのは、自分の本質とつながっているときに訪れるエネルギーの流れを感じるからだと思います。
だから、その本に書かれていることをマネするよりは、その本を読んでいるときに感じたエネルギーの流れを感じる状態になるときの自分のあり方を見つければいいのだと思います。
自分らしさをいちばん感じていられるなにかを、人生に現しているとき、私はなにをしているのだろう。だれと一緒にいるんだろう。
Message: "この世を歩くことを許された魂は、内に、外に見るすべてが、己の映し鏡であることを知り、すべてを統合するためにやってきている"[皇大神宮(内宮)](6th September 2009)
人生のあるときは、実にいろいろなことが度重なり、息も切れそうになるくらい、自分の葛藤があらわになるときがあります。
それは、自分が意図したことが結実していくために、人生のある交点において、それまでには表に出ていなかったことが一極集中というカタチをとって、解放のエネルギーが集中するからです。
ひとつが起こっただけでは解放されないのですが、複数の関連する事柄が一極集中することにより、ドミノ倒しのように倒れはじめ、解放される必要あるエネルギーが、一気に解放されることが起こります。
そんなときは、フタをしないで、一気に解放させてあげてください。
そのあとにやってくる流れ、やってくる出来事、やってくる人は、その人にとっての次なる人生ステージにおいて、本当に大切なものとなります。
人生で起こることひとつひとつに、幸運、不運と意味づけすることはあまり意味がなく、今生を終えて息を引き取る瞬間になにを感じるか、それがすべてです。
交点をとおりすぎたそのあとの人生展開を未来から見てください。
それが、その出来事の、あなたにとっての意味です。
Message: "扉はいつもあけておきなさい。いつ、あなたを必要とする人が訪れるか、わからないのですから"[ご料田](5th September 2009)
(つづく)