私がスピリチュアリティーを探求するのは、自分が永遠の存在であることを実感として知りたい、見えない存在たちがたしかに、自分を見守り、支えてくれていることを知りたいという想いがあるから。
それは実は、探求して得られるものではなく、探求することをやめたとき、はじめて得られる。
そんな気がする。
なにかを求めているということは、それを本当は信じていないから。
本当になにかを信じるなら、それを求めることはしないで、いまこの瞬間に自然に生きている。
疑いもしない、本当に信じているって、そういうこと。
Message: "幸せは、足元にある。" [諏訪大社 下社春宮] (3rd November 2009)
諏訪を歩いていると、私はなにかに助けられ、支えられていることを、いつも以上に強く感じる。
そう信じる気持ちが強くなる。
自分と縁のある土地を旅すると、そんな安心感に包まれる。
感じる力が強いのに、自分が感じていることを自然に受け入れないことは、自分を信頼しないと、自分に言っているようなもの。
アクセルとブレーキを同時に踏みながら過ごす人生は、足元に転がっている大切なことを見落としてしまう。
Message: "わからないなら、わからないままでいい。大切なのは、いまある瞬間をただ生きること。" [3rd November 2009] (諏訪大社 下社春宮)
最近、気がついた。
私が旅に出るのは、安心感を感じたいから。
私が本当に求めていることは、安心感。
素の私であること、本質の私とつながっていることからくる、安心感。
旅をしていると、自然とそんな安心感に包まれる。
Message: "安心感と孤独は表裏一体。" [旧中山道] (3rd November 2009)
思い返してみると、私は幼い頃から繊細だった。
それは、幼い頃からどこか不安定なところがあったから。
その不安定さを抑えようとして理性を総動員していた。
そうすることで、それはむしろ、後の不安定さを生み出してしまった。
私は自分で生み出してしまった歪みに気がついて、その歪みを和らげて、本来の私のバランスに戻ることができるよう、私の感性に従うようにした。
自分の繊細さ、感性の鋭さを、そのまま受け入れるようになった。
そうすると、だんだん、自分自身のことを心地よく感じるようになってきた。
私は、'わたし'に還る旅にあることに気がつきはじめた。