いま、変化を感じている人が多いと思います。
私も、なんですけど。
世の中が混沌としているから、ではありません。
世の中がどうしてこんなに混沌としていて、嘘クサイのか、その問いかけへのこたえが鍵です。
私たちがこれまで選択してきたことが、ヘンだからで、本当はどういう選択をしたいのかを知っていて、もう、そのこたえから逃れるには、あまりにも臨界点に達してしまっているからだと、私は思います。
この臨界点に達しているということには、ふたつの意味があると思っています。
そして、このふたつの意味を同時に手にする、体験することが可能なタイミングに入っていると思っています。
ひとつめの意味。
自分が本当はどうしたいと思っているのか、目を醒ましてしっかりと見据え、そこに向かっていくことを選択するときが来ている。
かつ、その選択が実現する可能性が高まってることを意味している。つまり、準備ができつつある、ということを意味している。
ふたつめの意味。
いよいよ、私たち凡人も、悟りの境地に達することが可能になった、悟りやすい状況が訪れた、という意味です。
これは私の仮説ですが、人は、自分が求めていることをすべて達してしまうと、究極的には、人生の意味、人生の目的って、なんだっけ?という、人生の本質、生命の本質に迫る方向に行きがちだと思うんですよね。
だから、これまでは、まずは、自分の煩悩による、エゴによる人生目標みたいなものを追っかけて、達成して、っていう、ヒーローズジャーニーをたどり、最後に、究極的に、悟りも得てしまう、という流れが、悟りに達する流れだったような気がしていたのですが、どうも、これからは違うって気がしています。
つまりは、俗に言う成功も、悟りも、みーんな一緒に手にしちゃましょう、的な世の中になっていく、っていうことです。
悟るっていうことの意味は、
"差を取る"
つまり、自分の本質、自分が本当に大切にしていることとの差を取る、っていうことなので、人と競争することはしなくなるでしょうし、自分の素質とか才能を、大切にしつつ、幸せを探求する方向に動くでしょうね。
でも、ここがポイントなんですが、この境地に達するまで(といっても、遠い先の未来ではありませんが)、自分が見たくなかった弱さ、心の闇がドーッと意識の表面にあがってくる時期をとおるかもしれません。
だって、見たくない部分も、自分でしょ、って。
自分を受け入れてあげて、癒して、統合すると、気持ちいいですよ。
それから、これも私たちの選択次第なんですが、そんな泥臭い経験はいらないから、スーッと悟っちゃいたい、って本当に思っているなら、そうなると思います。
本当に、スーッと行けるんですよ。選択すれば。
とおる体験も、行きつく先も、ちゃんと自分で選択すれば、かならず、そこに行きます。
というわけで。
変化を超えていくときの鍵は、なにを自分が体験したいか、どうしたいのかを、自分に問いかけてみて、やってきたこたえを、存分に味わえるように、想う、意図することです。ヒーリングを知っている人なら、上に命じることです。
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Today's Photo:
"変化を受容する"[箱根湯本駅 箱根カフェ](4th July 2010)
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