まったりしている。
ニューヨークに行く前に、エライ気持ちが盛り上がっていた自分を思い出すと、あれ、なんだったんだろ???って思う。
マトリックス・エナジェティクスが期待はずれだった、っていうことじゃないよ。
むしろ、その逆なんだよ。
おれね、以前のブログでも書いたかもしれないけれど、いまほど、自分という存在を感じることは、これまでの人生でなかったの。
最近ね、ときどき、ほんのささいな瞬間に感じるんだよ。
おれ、自分を生きている、って。
その感覚が徐々に広がり、おれが自分という存在を呼吸し、自分を生きて、自分の人生を生きているっていう感覚が浸透してきている。
その結果なのかよくわからないけれど、自分の中心を感じながら、まったりしているの。
これって、なんなの、って自分に問いかけたの。
そうしたら、それが、その状態こそが、お前がこれまでの人生で、追い求めていたことだろ、っていう声が聴こえてくるの。
おれ、静かな情熱を感じてはいるけれど、使命感とか、人生の目的とか、夢とか、そういうの、自分のなかに感じないの。
ぜんぜんないんじゃなくって、切迫感がなくって、自由な感覚がいつもそばにあるから、いま、この瞬間の自分のあり方、選択を、とても心地よく思っているの。
いままでは、夢とか目標を未来に据えて、そこに向かっていくために、おれはなにをすべきか、っていう感じで人生をとらえていたの。
でも、いま振り返ると、このやり方、窮屈で、いま生きている自分を認められなくて、いつもなにかに駆り立てられて、生きている心地がしていなかったの。
いまある空気を呼吸していない、っていう感じだったの。
だから、幸せな状態にあっても、自分の意識はいつも少し先の未来、遠い先の未来に飛んでいるから、やってきた幸せに、'常に'気づけないっていうおかしな状態を自分で創っていたの。
それが最近、あまりにもありふれている表現かもしれないけれど、幸せの青い鳥は、おれのすぐそばにずっといてくれていたことに気がついたの。
そんな感じの日々が、ニューヨークから帰ってきてからつづいていて、まったりとした日々がつづいていて、これ、なんなんだろう???って思っていたの。
おれ、変化、変容がないと、不安になるんだな、ってこれを書きながら気がついたの。
でもね、変化、変容って、静かに、なにもしなくても起こっているんだよ。
もっと言うと、変化、変容は、おれたちの意識が介入しないほうが、速く、スムーズに、軽やかにひろがり、浸透していくんだよ。
自分の人生と戦うための努力はするな。力入れるな。自分を追い詰めるな、っていう感じかなっ。
なにかを意図して、軽やかで、明るい、楽しい気持ちになったら、それで、おれたちの仕事は終わっているんだよ。
どんなカタチで意図が実現するかなんて、おれたちのちっぽけな左脳アタマには計り知れないんだよ。
"そこから先は、神の領域" (三浦綾子)
っていうことなんだよ。
まったりしているな、って思ったら、このまったり感に至ったいま、それまでの自分、それまでの人生と冷静に比較してみて、なにが変化しているか、いまこの瞬間、なにに気がつくか、観察してみる。
まったりしているときってね、おおきな変化、変容が起こったあとの、次の変化までの間隙だったりするんだよ。
"I welcome and embrace このまったり感."
おれはまったりしつつも、年末のエネルギーを感じているよ。
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Today's Photo:
"まったりは間隙"[Marriot Hotel, New Jersey](17th September 2011)
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