火の鳥を見ました。
私が幼少の頃、火の鳥を見たとき、とても深く心を揺さぶられたことを記憶しています。
その当時の私には、なにが私を揺さぶったのかわからず、言葉なく、心深くで動いているなにかを感じていました。
いまから想うとそれは、感動という感覚とは違う、もっと激しく、深いところに沈んだまま、ずっとそこにあったものでした。
今回、時を超えて、こうして火の鳥を見ることになって、それが、私のなかにずっとあった問いかけが、私を揺さぶっていたことを思い出させてくれました。
「生とはなにか」
「どうして、私たちは、生まれ、死んでいくのか」
「どうして、人は争い、得ようとするのか」
言葉にできなかった当時の衝撃をいま、言葉にすると、そんな言葉だった気がしています。
NHKアニメワールドのなかで新たに編まれた火の鳥を見ることになり、ふたたび、私のなかにあった消えることのない問いが、蘇ってきました。
火の鳥が、第11話 太陽編 その四のなかで、犬上に語った言葉が、私が知りたいと思っていたエッセンスを語ってくれていました。
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犬上:火の鳥よ、教えてくれ。あなたなら、わかるはずだ。どうしたら、どうしたら、天地(あめつち)の神を仏教から守れるのか。教えてくれ。
火の鳥:それはできないわ。私は人の争いに干渉することはできない。私はただ、見ているだけ。
犬上:どうしてなのですか。
火の鳥:仏と神の争いは、結局、人の欲望が生み出したものだから。人は昔から、神をめぐる争いをつづけてきた。でも、神も争いも、人間がつくりだしたもの。だから、どちらも正しいの。正しいもの同士の争いは、止めようがないわ。
犬上:正しい... 権勢で天地の神々を抑えるのは、正しいと言うのですか。
火の鳥:悪いのは、仏でも神でもない。悪いのは、仏や神を利用しようとする、人の欲望。欲望と結びついたとき、宗教はとめどなく、残酷な道具になってしまう。いずれあなたは真実を知るでしょう。もう一度、人へ戻ったときに。
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ここに、私が生きていくうえで、私を助けるヒントがあると直感しました。
私のなかにはずっと、どこにその対象を求めてよいかわからない、憤りがあります。
私はある時、私の生を生ききるなら、この憤りと伴に生きていこうと決心しました。
けれども、その憤りから私を解放してあげてもいいかもしれないと、いま、感じはじめています。
... 不思議です。
この文章をこうして書いたことが「ある」という感覚が、デジャヴがいま、訪れました。
この文章を書いているいま、時間が存在していないようです。
あるいは、時間というものはなく、すべての時空間が一瞬、この文章を書いている私のところに集約されてきたのでしょうか。
まるで、この文章を書くことを知っていた「別の私」がいるかのような感覚が一瞬、訪れました。
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Today's Photo:
"空を見上げてふと思った"[DIC 川村記念美術館](3rd November 2011)
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