それは、源(Source)への帰還です。
創造には、なにかをつくりだすことのほか、破壊すること、壊すこと、崩壊させることも含まれています。
すべては、創造のプロセスだということです。
そこに、ぼくらの'判断'というプロセスを挟まない限りは、すべてはひとつであり、すべてを含んでいます。
破壊は悪いもの、心地よい、優しい、愛を感じるものをつくることは良いことととらえること自体には、非常に大切なプロセスが含まれています。
それは、ぼくらが、なにかを判断している、ということに気がつけることです。
ぼくらが、なにかを判断しているということに意識上、気がつくと、ぼくらは判断を離れることができ、ぼくらがWatchしていることを生み出している源(Source)に気がつくことができます。
破壊も、心地よいことも、すべて、同じ、ひとつの源(Source)から生じているのです。
ぼくらがそのことに気がついたら、なにが起こるでしょうか。
それは、すべては、自分のなかにあり、すべては、自分が創造していたことに気がつくのです。
ぼくは冒頭で'帰還'と書きました。
帰還するということは、すべての、あらゆることが、ひとつに集約されると感じますが、そうではありません。
帰還は、あらゆることすべて、あらゆる無を、時空を超えた状態で、絶え間なく創造することが、起こりつづけていることを指します。
ぼくらは、その状態に帰するのです。
歪んだ状態も、ぼくらが創造したことであり、歪みを認識することで、ぼくらは、ぼくらを認識するのです。
ぼくらは、どんなにつらく、ひどいと思う人生であっても、そこに行き着くことになっているのです。
どうしてかと言いますと...
そうだから、なんです。
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"ぼくらは還る"[皇大神宮別宮 伊雑宮](1st January 2012)
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