最近、マトリックス・エナジェティクスのセッションをやっていくなかで、受けてくださる方の変容を目の当たりにするだけではなく、ぼく自身も、なんだか、変わってきています。
いちばん変わったと感じるのは、ぼくのなかにある、心地よいとは感じられない考えや、感情、体感覚について、あれこれと意味づけをしたり、判断をしなくなったことです。
それがあってもいい、それがあってもだいじょうぶ、そのままにしておいてみようという、ちょっと達観したような感覚になることが多くなってきています。
今日、寝る前に、なにかを書いてみたいというほのかな気持ちに動かされて、いま、この記事を書いており、ぼくらが向かっている究極の源(Source)って、なんだろう、という問いかけが浮かんできました。
その問いかけに対するこたえを書いてみたいと思いました。
それを、いつものように、ぼくのガイドたちと、マスターたちに聴いてみると、失礼なことに(笑)、ガイドたちは、ぼくを指さして、ゲラゲラ笑っています。
「そんなこと、知ってるくせに」
と言いながら、爆笑しています。
マスターたちに聴いてみると、さすがに、マスターたちは真摯な感じで、こうこたえてくれています。
「それは、あなた様の生きる道、その存在としてのあり方でございます」
は???
まったく意味不明なんですけど???
それ、どういうことですか???
「あなた様のいまのあり方のなかに、そのこたえが含まれているのです」
へ???
まったく意味不明なんですけど???
「あなた様が、こうしたい、ああしたい、といった、想いの向こう側に意識のビームを伸ばしてごらんなさい。そこが、あなた様が行き着く先です」
想いの向こう側にビーム...???
なんにもないんですけど???
ただ、宇宙空間に漂っているだけ、っていう気がするんですけど???
「そこが、あなたの行き着く先です」
... 意味不明...
と、今度はぼくのガイドたちの方を見ると、ガイドたちは、ぼくが理解しようとしている様子を、あごに手を置いているような仕草で、眺めています。
まるで、わかってきたようだね、と言っているかのように...
ぼくが今日の記事を書きたいと想ったのは、なにかに対するこだわりがない状態が、もしかしたら、究極の癒しであって、ぼくらは、まさに、そこに向かっているんじゃないかって、この記事を書く前から感じていたからなんです。
そこが、源(Source)なんじゃいかって、感じるんです。
ついでに、ぼくが大好きな、マトリックス・エナジェティクスでもよく出てくる、Zero Point Fieldって、ここで言っている源(Source)のことなんじゃないかって、ぼくのマインドが騒ぐので、ガイドたちに聴いてみることにします。
すると...
あれ...
ガイドたちは、ぼくを見守るかのような様子で、なにもこたえようとしないんですけど...
じゃ、マスターたちに聴いてみると...
「源(Source)と、Zero Point Fieldは、厳密には、同じものではありませんが、Zero Point Fieldは、源(Source)の活動の場が与えられた、活性化されたFieldです」
なるほどね...
よくわからないけど、わかったような... (笑)
ところで、よく、悟りを目指そうとして、こだわりを意識的に落とそうとすることがありますよね。
ぼくは、そのやり方は、かえって、悟りから遠ざかると思っています。
どうしてかと言うと、こだわりがあまりよろしくないものであるという捉え方、意味づけをしているからです。
ひとつひとつの事象について、意味づけをするのをあきらめ、ただ、眺めるかのように、そこに訪れることを楽しむかのようにある、戯れるあり方が、悟りと呼ばれる状態に、グッと近づかせてくれるし、ぼくらが求めている究極の癒しが向こうから訪れる条件が、そうすることで自然と揃うんじゃないかと、ぼくは感じています。
で、上を向いてみると...
ガイドたちは...
大笑いしながら、踊っています...
このガイドたちの動きは、Big Yes. なんです。
マスターたちは...
微笑みながら、顔をたてに振り、優しいまなざしで、そうだよ、というメッセージを伝えてくれています。
結局、日頃、心配したり、不安になったり、考えすぎたりしないで、気楽に生きていけばいいんだな、っていうことになるんですね。
人生、シンプルにすればいいんですね。
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Today's Photo:
"妖精の光"[阪急嵐山駅, 京都](23rd December 2011)
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