片山 交右 (著)
データで保存しようと思ってスキャンした本に、今日、ぼくは救われました。
ぼくの意識が自分の内面深くに向かいはじめたのは、大学生の頃でした。
失恋をきっかけに、自分について知りたいという気持ちが起こり、その当時、手にした本がこの本でした。
当時のぼくには、自分のなかでなにが起こっているのか、わからなかったのだと思います。
この本の内容にあまり心を動かされることがありませんでした。
この本には、怒りという感情を理解し、自分自身との付き合い方を変え、怒りを解放し、自分にとっての自由に向かって自分を解き放つためのヒントが書かれています。
ぼくが救われたと感じたのは、ぼく自身の原動力、自分を前へと進めていた力の源は、実は、怒りにあったことに気がつけたからです。
ぼくの奥深くにあった怒りは、言い換えるなら、漠然としていてわからない対象への敵意でした。
その対象に対する怒りの背後にあるのは、ぼくの強い恐怖感、怖れであることもわかりました。
どういうわけか、ぼくをドライブしていたのが実は、怒りであったことに気がついた瞬間、その怒りのエネルギーは流動性を伴って動きはじめ、それによって、身体の滞っていた部分に血の気が戻り、正気を失っていた心の部分には正気が戻ってきました。
怒りの感情は、適切な流れを許されるなら、自分で自分を縛っている心の鎖から自分を解き放ち、それまでなら自分が気がつくこともなかった、自分にとっての本当の自由、自分が本当に満たされていると感じる世界へと、自分を誘ってくれると気がつきました。
ぼくのなかにあった怒りのエネルギーにその正当性を与えた瞬間、その怒りは怒りではなくなり、質の異なるエネルギーの流れとなってぼくのなかを動きはじめ、やがて、そのエネルギーは、ぼくを取り囲むかのようにペールブルーの色をしたエネルギーとなって、仙女がまとう絹の織物のようなエネルギーとなり、ぼくの身体のまわりを反時計回りの動きとなって、ぼくの身体の上方へ向かって流れ出しはじめました。
そのプロセスはいま、この瞬間もつづいています。