"私がおかしな選択をしようとしているとき"について。
これも、私が最近よく行く、角打ちという、酒屋さんがやっている立ち飲みの居酒屋で日本酒を飲んでいたときに、私のガイドたちと会話していてやってきたメッセージです。
"私がおかしな選択をしようとしているとき"って、どういうときかっていうと、
"枠にはめた考え、価値観、信念によって、自分をちっちゃな枠のなかにおさめてしまい、私が本当に求めていることをあきらめたり、本当は私が知っている、自分本来の姿とは違うことを信じようとがんばっているとき"
のことです。
そういうとき、私のガイドたちは、私をどう見ているのか。
"私がおかしな選択をしようとしているとき"に、ガイドになにかを尋ねると、決まって、見える姿があります。
"私のガイドたちは、そんなとき、愛情を込めて、笑っています"
そして、笑っているガイドたちの姿を見て、私はハッと気がつきます。
"人生に、深刻さは、不要なのかな???"
と。
私の思考、感情、感性がおもたくなるとき、最近は、私のガイドたちに問いかけています。
"これって、どう???"
って。
そんなとき、私のガイドたちはたいてい、ハラを抱えて笑っています。
そんなガイドたちの姿を見て、私はさらに問いかけます。
"なんで、そんなに笑ってるのっ???"
って。
すると、よくかえってくるこたえが、これです。
"だって、それ、本当はやりたいと思っていないだろう???なんで、そこにそんなにエネルギーを注ぐの???(爆)"
あるいは、
"だって、それ、本当はやりたいと思っているだろう???(爆)"
私は、物事を生真面目に、深刻にとらえる性質があります。
けれども、人生36年目にしてようやくハラ落ちした真実があります。
それは、物事を生真面目に、深刻にとらえることは、その対象にとてつもなくおおきなエネルギーを注ぐことであり、その対象をよりリアルに、クッキリとした輪郭を与えることになる、と。
その対象を私が求めていないなら、その対象を笑い飛ばし、私が本当に求めることにエネルギーを注ぐか、あるいは、その瞬間がどんなに混乱しているのであれ、その瞬間を、変容の扉と見立てて、遊んでみよう、楽しんでみよう。
もし、それが本当に私が求めていることなら、考えず、軽やかに、やりたいように、感じるままにやって、遊んでみよう。
私はいま、そんな軽やかさ、爽やかさ、単純さで遊び、楽しんでいます。
ガハハっ。
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"自分が欲しいものを注文しようよ"[たからの庭, 北鎌倉](3rd July 2011)
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