新しい流れが来ている。
今回のブログでは、(いつもそうしているけれど... )飾らない、私という素材のままに、感じていること、ふと思うことを書いてみる。
いまの会社での仕事は、来月いっぱいで終了となった。
契約が終了するということ。
今回は、向こうから新しい流れがやってきたと、静かに感じている。
静かに感じている、と書いたけれどそれは、この話をエージェントから聴いた瞬間、動揺することもなく、私の深いところで静かに受け止め、「あぁ、そうですか」という言葉とともに、清々しい気持ちになり、自然な笑顔になったから。
前日にエージェントから電話が入り、明日、会って話がしたいんだけど、という連絡が入り、ザワザワした気持ちになったので、いつものように、ガイドたちに聴いてみた。
「これ、ザワザワするんですけど、なんのことですか???」
って。
すると、ガイドたちは神妙な面持ちで、こう教えてくれた。
「流れが変わる時です。あなたにとっては、新しい扉が開きます」
だから、エージェントから話を聴いた時には、ガイドたちとのコミュニケーションの精度が高いことにまず驚き、ガイドたちが教えてくれていたことは、私にとっての真実であると理屈なしで気がついた。
いままで、私にとっての流れが変わる時というのは、自分が本当に求めていることに向かって、自分基準で選択し、新しい流れに乗っていくことを決めた時。あるいは、自分のなかにある違和感があまりにもおおきすぎて、新しい選択をしようと決めて、自分基準で選び、新しい流れに乗っていった時だった。
こうして書きながら自分の選択を思い出してみると、共通するのは、自分基準で選んできたということと、その先、どんなことが待っているのかわからないけれど、自分が感じているままに選んだ、っていうこと。
あまり好きな言葉ではないけれど、「世の中的には」まったくメインストリームからはずれ、目的や目標も持たないで、フラフラ生きているように見えるかもしれない。
いまでも、「こんな生き方で、こんな自分でいいんだろうか」と思うことがある。
実は、この文章を書きながらも微かにそう思っている。
いま、自然と「微かに」という言葉が出てきたのだけれど、いまの私のなかには、私にとっての真実に触れているという感覚、真実から湧き出ている泉に触れている感覚があって、そっちの感覚のほうがずっと強いから。
いつもなら、次元、時空を超えて、軽やかで、明るくて、楽しいモードに切り替えて、今回の流れの変わり目のことを書こうかとも思ったのだけれど、山口絵理子さんの「自分思考」を読ませていただいて、今回は、素直な、素材のままの、ひとりの人間としての感覚で表現してみたいと思った。
次元、時空を超えていくことは、実は、簡単なことなんだ。
そうだと決めれば、そうなっていくから。
でもいまは、私の人間らしい、いまこの瞬間の感覚を大切にしながら書いてみたいと思った。
エージェントとの話が終わった後に、またガイドたちと話をしてみた。不安になったから。
「これ、本当に大丈夫なの???」
すると、これまで見たことがない様子をガイドたちが見せていた。
なんと、まるでお祭り後の宴会のように、楽しそうに踊っている。
こんな様子を見せてこたえがかえってきたのは、今回が初めて。
私は思った。
「面白そうだな。それなら、大丈夫そうだな」
流れが変わるときにはいつも、自然と浮かんでくる問いがある。
「私は、どんな風に生きていきたいのだろう???」
「私は、なにをやりたいのだろう???」
「私は、なんのために生きているのだろう???」
いままで何度も訪れた人生の転機のたびに、この問いを見つめてきたけれど、いつもこたえらしいこたえは見つからなかった。
いまもそう。
「このまま、迷いながら人生、終わっちゃうのかな」
と思うこともある。
でも今回の新しい流れは、なんだか、いままでとは質感が違う気がしている。
いつもの哲学的なこれらの問いが浮かんでくるのだけれど、その問いかけへのこたえは、立ち止まって得られるというよりは、歩きながら、動きながら、流れに身を任せながら、向こうからやってくる気がしている。
正直、これからどんな展開になるのか、わからない。
自分がどうしたいのかも、わからない。
アルバイトをして過ごす日々が来るのかな、とも思ったりする。
2008年から2009年、お金が底をついて、しかも、夜勤のアルバイトをしていた時に指を骨折してしまい、お金がないのに、働くことすらできない状態を体験したことがある。
その当時は、寒空の元、荷物の仕分けをする夜勤のアルバイトをしながら思ったのは、自分が生きているという強い実感だった。
でも、自分のプライドが許さなくて、親しい人たちに逢うことや、いま、自分がどうやって生活しているのかを隠すようにしていた。
当時を思い出すと、またあの頃のような体験をするのかな、と思うのだけれど、でも、やっぱり今回は変化の質感が違う。
当時は、自分の人生と、自分自身と戦い、自分のなかにある憤りを社会にぶつけようとしていた。
自分の殻に閉じこもっていて、頑なだった。
そんな時、私が求めている年収で、海外出張もあり、正社員として内定を出そうとしてくれていた企業があり、それが、当時の私にとっては救いの手が差し出されていると薄々感じながらも、頑なになって断り、アルバイトする日々がつづく、という体験をした。
当時の自分を振り返ってみると、その時の自分は、自分基準で生きているのではなく、ただ頑なになって、心を閉ざしていただけだった、という気がしている。
自分基準ってね、自分のハートがひらいていて、自分とも、外側とも、柔らかくつながっている状態のことだと思うから。
そして、それでも、自分の核や、軸や、芯のようなものを感じて、それを大切にして、流れる水のように、流れる雲のように、柔らかく動き、やがて、カタチにしいていくことだと思う。
いま、自分で自分を褒めてあげたいと思っているのだけれど、それは、いま、端から見ると、契約が切れ、転職や、就職がままならない世の状況にあって、大変なことになったね、っていうことなのかもしれないけれど、私がここで書いた、自分基準を感じ、尊重しながら動いている自分があるからなんだよ。
だから、私にやってきている新しい流れが、いままでとは質感が違うって感じるんだと思う。
動きやすい軽さ、流動性があり、自分の感性も爽やかに働いていて、軸をも感じながら生きることができているから。
いま、私に起こっていること、流れが変わったことについてガイドたちに聴いてみても、笑いながらこんなこたえが返ってくる。
「いまはわかる必要はない」
私は、とても慎重で、心配性なところがあるから、こたえがわからないと、道筋がわからないと、情報がないと、立ち止まり、考えすぎ、さらに動きにくくしてしまう性質がある。
だから、心配性とは裏腹にある、大胆で、向こう見ずで、不注意な(笑)、動きのある、流れのある性質を優位に使って歩いてみようと思っている。
それから、人生の使命や、人生の目的がわからないから、なにもやらない、選ばない、ということではなく、わからなくても歩いてみる、動いてみる、という流れのある私の資質を大切にしてみたいと思っている。
人生の使命や、人生の目的って、気がついたら、それを生きていた、っていうのが自然なような気がしている。
急に流れが変わることになって、心配になって、ドーパミンが出て、それを緩和するためにこんな風に前向きに感じ、考えようとしているのかな、とも思うのだけれど、いま、この文章を書いている私は、とても冷静で、静かで、自分の感覚とつながっている。
この文章を書いているいま、ガイドたちは、どうしてなのかわからないけれど、手をたたき、腹を抱えながら、笑っている。
まるで、
「これからなにが訪れようとしているのか、わかっているだろう???」
と言っているかのように。
12月2日~6日まで、シアトルで開催されるマトリックス・エナジェティクスのLevel 1、2、Practitioner Certificationに参加してくる。
シアトルで過ごす時間、体験、エネルギーが、私に訪れている新しい流れをよりハッキリと、強く感じさせてくれる気がしている。
どうしてなのかわからないけれどいま、ハートを中心として淡いグリーンの光が私の身体全体にひろがっていて、私の身体全体を包み込んでくれている。
p.s. シアトルから帰国したら、マトリックス・エナジェティクスのセッション、ワークショップをはじめるよ。
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Today's Photo:
"陽は落ちてまた朝陽が昇る"[DIC 川村記念美術館](13th November 2011)
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